私が大学生の頃。
専攻科目やゼミの研究、教職課程等々、ひたすら勉強勉強の毎日。
あることを学ぶと、そこから疑問が生じて別の資料やら教科書やらを読み漁る。
その中から新たな疑問が発生し、また別の資料や教科書を読み漁る。
延々この繰り返しで、やれどもやれどもキリが無い状態。
一体いつになったら勉強が終わるんじゃ?!とイライラし始め、
この際限無い状態に遂にキレてしまい
「ぢぐじょ〜!どこまでやっても勉強が終わらなーい!」
と絶叫し、机をバンバン叩いてしまった。
と。
そんな様子を見ていた父が、ひとこと、こう言った。
「そうだよ。人は一生勉強だよ。」
思わず、父の方を振り向いた。
父は何も無かったかのように新聞を読んでいた。
私は再び机に向かい、言葉の意味を考えた。
むー。。そーだよなー。
試験に合格して先生になっても、先生としての勉強はするだろうし。
社会人になって勉強するジャンルは変われど、勉強は一生続くんだよなぁ。
と、すんなり納得し、再び教科書と格闘した。
「人は一生勉強だよ」
という言葉。
学生当時はゼミや教職に関わる範囲で受け取っていたが、
年齢とともに、さまざまな経験を重ねていくうちに、
この言葉の真の意味が分かるようになった。
『人生は修行』
とは良く言ったもので。
日常生活の中では、本当にいろんなことが起こる。
いいこともあるし、悪いこともある。ハプニングもある。サプライズもある。
大事件にショックを受けたり、ささやかなことに躊躇する時もある。
いろいろなことから、いろいろなことを感じ、学ぶ。
失敗や成功といった一時的な結果だけではなく、
何気ない日々の出来事からも深い洞察をもって学んでいる。
当たり前なんですけどね。
生きているから。
だから、人は生きている間の一生が勉強だし、
死ぬ瞬間まで成長し続けるんだよなー。
人は一生勉強です。
ハイ。
よっしゃー!明確な目標を打ちたて、必ずや勝利を手にするぞー!!!!!
と早速身辺整理。←やっぱキレイな部屋で仕事したいじゃん。。
溜まりに溜まった文書の整理、スクラップの紙片をごっそり片づけた。
その中に、書き写したことなどすっかり忘れていたメモが出てきた。
新聞か雑誌で読んだ、桑田真澄氏の談話を抜粋したもの。
今日はそちらをご紹介。
*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*
目標を立てて、そこに向かって行く。
目標に到達できなかったからと言って、自分がダメなわけじゃない。
到達したからと言って、偉いわけじゃない。
ただ、目標に向かうだけ。
プロだから、結果は大事です。
でも、結果も大事なんだけど、プロセスはもっと大事。
*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*-----*
結果が全てのプロの世界。
そのプロである(あった)桑田真澄氏が、勝敗の結果のみならず、
そこに至るまでのプロセスも重要だと語っている。
確かに目標を持つことでゴールが見え、走りやすくなる。
だが、自らの手で勝利を手にするには、目標を達成するまで続く、
あるいは達成してからも続く自己管理が必須だ。
自己管理ってコトバを見ただけで頭抱えるも、
桑田氏も話している通り、結構シンプルなことなんだよな。
ただ、目標に向かうだけ。
よしっ。
地道に、こつこつと積み重ねていこう。
p.s.
私自身、桑田真澄氏のプロ意識から学ぶことは本当に多い。
またの機会にでもご紹介致したく〜。
我想去台湾…と思慕に暮れて間も無く、台湾の夢を見た。
台湾♪台湾♪と浮かれながら出国審査を待つ私。
心はすでに台湾へ。あとは我が身を運ぶばかり。
ルンルン気分でバッグからパスポートを出そうとするが、無い。
パスポートが無い。
一瞬、探す手が止まるが、バッグの下の方にでもあるだろうと冷静に判断するも、
念の為、無かった場合の対策を考える。
パスポートを取りに帰って戻ってくれば、4時間は掛かる。
1〜2分なら飛行機も待ってくれるかもしれないが、さすがに4時間は無理だろう。
4時間か…。時間がもったいない。
この便に乗れない、と言うことは新たにフライト料が発生する。
今なら7〜8万くらいか?ちともったいない。
うーん。。何かいい方法は無いか?
待てよ。
ここはまだ日本だから、事情を説明すれば出国審査はナンとかなるかもしれない。
問題は台湾の入国審査だ。
どんなに台湾を愛していても、身分証明の無い外国人は不法侵入テロリストだ。
マズイ。それはマズイ。
自分が罰せられるのは構わないが
国交の無い日本と台湾が更に遠い関係になってしまっては、死んでも死に切れん。
パスポートが無い。
台湾に行きたい。
絶対必要なパスポートが無い。
時間もお金も掛かるが、取りに戻るしか無いのか。
う〜ん。。何かいい方法は…
ここで目が覚めた。
なんだよー。台湾に行かせろよー。
若干不機嫌になるも、無意識が見せる夢からの伝言を詮索するが、どーもよく分からない。
真意が見えてこない。
自分ひとりでは埒が明かず、同志のカウンセラーにヘルプ・ミー!
すると同志から、このような質問があった。
「絶対必要なパスポートが無いのに、行くのを止める選択が無い。
台湾に行くと決めている。
目的地に行く決意は変わらないのに、何を迷っているの?」
うっ。。さすが同志。鋭い質問。
迷っている言い草はいくらでもあるのだが、
その迷いを生じさせる根本原因は、『明確な目標が無い』だ。
(詳細は省くが)台湾は、私にとって夢の象徴。
夢の実現、自分の未来像に向け、「もっと本気出して取り組もう!」
と試みるものの、空回りしている毎日。
それもそのハズ。
「目標は、本気で頑張ることでーす!」と言っても、
抽象的な「本気」や「頑張る」を計る物差しが無いから、達成度が分からない。
ゴールも分からない。
闇雲に動き回っているだけでは、成果など出るわけも無い。
つまり、何も考えていないのと同じ。
ひたすら無駄なことを繰り返しているだけなのだ。
いかん!!! このままでは確実に自滅する。
まずは明確な目標を決め、その目標を達成すべく
ショート・スパンでの行動計画、ソー・ロング・スパンでの行動計画を立てなければ。
時間が無いとか、お金が無いとか言ってる場合じゃない。
のんべんだらりのその日暮しから抜け出し、目標に向かい猪突猛進☆全力疾走だっ!
ふぅー。
夢からの伝言が少し分かってちょっと安心。そして深呼吸。
不退転の志、再起更生を心に決めて見上げた空は、どこまでも青く、
遥か台湾へと繋がっている。
真是興奮极了!等一下、台湾!
スーパーでマッシュルームを手にしたら、ラベルに
「軟弱野菜なのでお早めにお召し上がりください」とあった。
軟弱野菜???
みずみずしい野菜ゆえ、収穫後は早くしなびてしまうのだとか。
食べるなら新鮮な軟弱野菜なのね。
とりあえず、軟弱野菜が”根性無し野菜”では無いことは分かった。
しかし。
何故に「軟弱」というネーミングなのか?
「軟弱」という言葉から
ひ弱で情けない、意志がしっかりしていない…などなど、
良い印象とは言い難いイメージが連想される。
当の野菜たちは全くそんな気は無いのに、軟弱呼ばわりされるとは、
こりゃも〜災い被る被害者だ。
軟弱ヘタレじゃ無いぞー!改名しろー!と暴動起こしてもいいくらい。
でも待てよ。
軟弱ゆえ、弱く傷つきやすいイメージから、丁寧に扱うなぁ。
丁寧の度を越えて、バカ丁寧に扱うこともある。ラップでグルグル巻いちゃうとか。
やさしさとは違う、過保護や同情。
被害者にとっては蜜の味かも。
この味を占めたら、被害者としてのオイシイ役は止められないだろう。
被害者の醍醐味。
人の心も然り。
愛情欲しさに、わざわざ加害者を作り出し、自ら被害者を演じる。
「どうして私だけ…」
「こんな社会が…」
「だって…」
決め台詞はいくらでもある。
無事目標を達成して、情けを貰えたら御の字。次々に加害者を作り出す。
目標を達成できなかったら、さらに被害者を熱演。
「やっぱり私なんか…」と自虐したり、
「イジメられた…」と逆ギレしたり。
役柄とは言え、被害者は結構忙しい。
かくも巧妙に演出されている被害者のドラマ。
自虐の痛みに耐えかね号泣するも、
それでも殺生な生き方をせざるを得ない被害者の背景に胸が痛む。
さて。
軟弱野菜は被害者か?
消費者ニーズを理由に品種改良されハウス栽培を余儀なくされている点では
被害者かもしれない。
だが、ひとたび種を蒔かれれば、自身の生命力で殻を破り、太陽に向かって伸びていく。
さっきの問いに対し、軟弱野菜は何と答えるだろう。
「私たち軟弱野菜は、被害者野菜ではありません。
自らの意志で日々成長している、いきいき野菜です。」
な〜んて言うかな?
早速マッシュルームに聴いて(=食べて)みよう!
夏の炎天下、ムアッとする高温多湿の東京。
ダラダラと汗を掻きながら雑踏を歩けば、
排気ガスの埃臭さや、食堂から漂う料理の匂いが鼻に付く。
この濁った生活臭を嗅ぐと、
たちまち台湾にフラッシュバックする。
ここ2〜3年、久しく台湾に帰省していない。
為念。私、生まれも育ちも国籍もまんま日本人なのだが
台湾を我が故郷のごとく慕っており、この上なく台湾を愛している。
台湾の人びとを愛している。
兎にも角にも、台湾の人びとは非常にエネルギッシュである!
みんな常に『今を生きる』ことに貪欲なのだ。
必死で日々一刻を全力で生き抜き、その為の労を惜しまない。
貪欲なまでに、自分のために生きる。
そんな姿を”究極の自己中心的生き方”と言う人もいる。
私から言わせてもらえば
「自分の人生。自分のために生きて何が悪いっ!!」
と即反論に値する意見。
貪欲なまでに、自分のために生きる。
これ即ち、決断力の連続かもなー。
自分のために生きる、って簡単そうに見えるけど、
やるからには万事に屈しない闘魂がいる。
度胸もいる。踏ん張りもいる。覚悟もいる。
これらの情熱を維持するモチベーションもいる。
自分のパワーを出し惜しみすること無く、常に自分全開で生き抜く。
台湾の人びとの生き様は、こんな私に
不退の人生行脚を示唆してくれる。
むふー。
何だか最近妙〜に疲れてる感じだし、
そろそろエネルギー・チャージしに行くべ。