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我想去台湾

夏の炎天下、ムアッとする高温多湿の東京。
ダラダラと汗を掻きながら雑踏を歩けば、
排気ガスの埃臭さや、食堂から漂う料理の匂いが鼻に付く。
この濁った生活臭を嗅ぐと、
たちまち台湾にフラッシュバックする。

ここ2〜3年、久しく台湾に帰省していない。
為念。私、生まれも育ちも国籍もまんま日本人なのだが
台湾を我が故郷のごとく慕っており、この上なく台湾を愛している。
台湾の人びとを愛している。

兎にも角にも、台湾の人びとは非常にエネルギッシュである!
みんな常に『今を生きる』ことに貪欲なのだ。
必死で日々一刻を全力で生き抜き、その為の労を惜しまない。

貪欲なまでに、自分のために生きる。

そんな姿を”究極の自己中心的生き方”と言う人もいる。
私から言わせてもらえば
「自分の人生。自分のために生きて何が悪いっ!!」
と即反論に値する意見。


貪欲なまでに、自分のために生きる。

これ即ち、決断力の連続かもなー。
自分のために生きる、って簡単そうに見えるけど、
やるからには万事に屈しない闘魂がいる。
度胸もいる。踏ん張りもいる。覚悟もいる。
これらの情熱を維持するモチベーションもいる。
自分のパワーを出し惜しみすること無く、常に自分全開で生き抜く。

台湾の人びとの生き様は、こんな私に
不退の人生行脚を示唆してくれる。

むふー。
何だか最近妙〜に疲れてる感じだし、
そろそろエネルギー・チャージしに行くべ。



日々悶々

先日、花束を戴いた。
中でも真紅のガーベラがひと際美しく映えていた。
花言葉を調べたら、『常に前進』とあった。

ここ最近、自分の中のいろんなことが停滞していて、日々悶々としている。
ガーベラの花言葉とは全く以って反対の状況なのだ。


自分はどうなりたいのか?
その為に、今何をすべきか?
今の自分に何を積み重ねていくのか?

スキル・アップだの、チャレンジだの、いろいろと目標も立ててみるのだが、
自分に足りないモノを目の当たりにし、その膨大さにゲンナリ意気消沈…。
元来、欲しい結果を手にするまで粘る質ではあるものの、
反面、即結果を得られないと放り投げちゃうところもある。
(放り投げても、ちゃんと拾うんですけどね。責任放棄はイヤなんで。)

一切合財何もかもいっぺんに片付けようとするから
収拾が付かなくなって、自暴自棄になり、放り投げるんだよなー。

時間は有限。
日々の生活に翻弄されるのでは無く、
自分の時間を合理的有効的にコントロールし活用しなくては!

…って、アタマでは分かっているけど、
「じゃぁ、どーするよ!?」
と突き詰めると、答えに窮する自分がいる。
そしてまた、メビウス・ゲームを始める。

なんだかなー。もー。

ため息ついて、ガーベラの花を見つめる。
日々悶々とするも、それすら常に前進している証しでは?
と、今はエゴイスティック解釈しとくか。


にっこり笑おう

自分の限界に挑戦するのって、結構ハマる。
自ら特攻番長となって、バリバリ爆音鳴らしながら突っ走る!
立ち入り禁止エリアを丸っきり無視して、
無限の可能性に突入した時のゾクゾク感は何度やっても止められない♪
ま。一種の中毒だな。

自分が限界だと思っていたエリアを打破する。

「一生懸命頑張っていれば、向こうから幸せがやって来るの〜」
などと甘っちょろい考えでは、おそらく一生不幸だろう。←失礼!

突破口は、自ら体当たりして切り開いて行くしかない。
私は、そう思う。

全身全霊、カラダ張って体当たりするのだから
場合によっては軽傷などでは済まされない。
全身打撲になるかもしれないし、流血するかもしれない。
それでも限界破りに挑戦し続ける。

自分が、自分を信じきっているか!?
が問われる瞬間だよな〜。

ケガするくらいなら、安全圏の中で生活していた方が、よっぽど利口である。
それでも、限界破りに挑戦するのを止められないのは
その痛みを感じさせないほど、勝利を手にした未来の自分は輝かしいからだ。

「血を流しながら、にっこり笑おう」  by岡本太郎

フッフッフッ。
あらゆる限界を突破し続け、必ず勝利を手にするのだー!



乗り越え時

土8の学園ドラマ『ROOKIES』を欠かさず観ている。
カッコイイところもカッコ悪いところも
これが等身大のオレ達だぜ!
って胸張っている姿に心シビレル。

このドラマでは、
熱血教師が教え子達にたくさんのエールを贈り、
教え子達はそれをしっかり受けとめ自らを奮い立たせている。
この間は、罵詈雑言に打ちひしがれる教え子に対し、こんな言葉が贈られた。

「これは試練だ。試練は、それを乗り越えられるヤツにしか来ない。」

つまり
「オマエなら、この試練を乗り越えられる」
と勇気と励ましを注いでいるのだが…
ちょっとばかし腑に落ちない所がある。
「オマエなら乗り越えられる」と言っているが
正確には「オマエなら乗り越えられる、と私は信じている」だ。
では何故「乗り越えられる」と言えるのか。
それは「乗り越えられるオマエを信じているから」なのだが、
自分が信じることと、他人が試練を乗り越えることは、そもそも土俵が違う。
しかも「試練は乗り越えられるヤツにしか来ない」などと、予言めいたことを言っている。

はてー。
頭がグルグルしてきた。

視点が「信じる側」にいるから頭がグルグルするんだな。
「試練を乗り越える側」に視点チェンジ。

何故その試練にブチ当たったのか?
数ある試練の中から、何故その試練を選んだのか?

ピーン!分かった!

逃げる選択や選ばない選択も出来たハズなのに、その試練を選んだと言うことは、
それに挑戦する決意、立ち向かう覚悟が出来た、ってことだ。
だから、その試練を選んだんだ。
だから、「試練は乗り越えられるヤツにしか来ない」んだ。


時に、試練を乗り越えるのは容易いことでは無い。
むしろ厳しいだろう。

それでも挑むと覚悟を決めたのだから、必ずや試練は乗り越えられる。
仮に乗り越えられなかったとしても、乗り越えるまで何度でも挑戦すればいい。


そして、熱血教師は言う。

「それでも諦めないヤツが最後は勝つんだ」

そんなヤツだからこそ、

「天は自らを助くるものを助く」


試練に打ち克つ自分を信じた者だけが
自らを勝利へと導くことができる。
自助の精神。最高である。


魅力的な人

とても魅力的な人と出会った。

ん???初対面だよなぁ…
と思うも、初めて会ったような気がしない。
やっぱ会ったことがあるのかなぁ…と思い、
あれこれ記憶を辿るが、過去の記憶に、その人はいない。

だが、その人と出会った時、以来その人と会うたびに、
昔の友人に再会したような、そんな感覚になった。
話し方とか仕草とか、そういうところでは無く、
こう、何と言うか…
その人の在り方そのものに、懐かしさや切なさ、愛おしさを感じるのだ。
そんな高揚感も手伝って、勝手に応援団長となり、その人を応援していた。

はてさて。この魅力は何なんだー??

しらふになって分析するも全く分からんちん。
正体を解き明かすべく、応援団長を兼務しながら、
その魅力と魅力的な人を常に見張り続けていた。

で。相当時間が掛かってナゾが解けたのだが。

魅力の隙間から見えてきたのは
人生や夢に対する儚さや脆さ、そして失望感。
魅力的な人はこれに囚われていた。


…てか、
囚われの人生は、かつて自分が後生大事に握りしめていた人生脚本。
囚われた人って、昔のアタシじゃん!

げげーーーっ!
昔の自分に憐憫かよー!
しかも応援団長って、どーゆーことっ?!
手放したつもりが、まだ持ってたのかよー?!

自分が出した分析結果とは言え、大ショックのあまり、口から泡が出た。
いや待て、泡出して逃避している場合ではナイ!
正気を取り戻して冷静に考えてみた。

確かに、自ら進んで応援団長にはなった。
昔の自分を嗅ぎつけ、懐かしいだの愛おしいだの、更には魅力だと称するも、
ミイラ取りの如くハマることは無かった(ハズ)。
時間は掛かったが、その正体を見破ったことを思えば、ギリギリ・セーフではないか。
魅力に囚われ足を滑らせたが、片手で断崖にぶら下がった状態。
ヒ〜ッ。ヤバイヤバイ。びっくりしたなー、もー。
危うく道連れになるとこだった。


今にして思うのだが。
心ときめき応援団長になったのは、
私が自分の人生脚本を書き直すことが出来たように、
その人も
いつか自分の人生脚本を自らの手で書き直せる日が来ることを
無意識に信じていたからかも。


懐かしく愛おしい、とても魅力的な人よ。
いかなる挫折も失望も、所詮はゴールまでの通過点。
起こりうる可能性をも諦めてしまうのは、チト、もったいないかな。


Appendix

プロフィール

ほんま さふみ

Author:ほんま さふみ
名前 : 本間 小文
職業 : 心理カウンセラー
モットー :
「明日、地球が滅びようとも
 天気の良い日は布団を干すに限る」

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